成田山にお参り

半年が過ぎたころ、成田山新勝寺にお参りに行ってきました。ここのお寺は、おばさんのひぃじぃちゃんがお坊さんを務めていたお寺です。境内にはそのひぃじぃちゃんの銅像が建っています。ひとの三倍くらいあるでっかい銅像です。

うちのおっさん おばさんは、信心深いのか単なるパワースポット好きなのか、よく神社仏閣に出かけていきます。僕自身は、鳥居をくぐるときゾクゾクっとするのでちょっと怖いです。(おっさんは、なぜか鳥居の脇から境内に入るようにしてます。)

お参りの帰りに「うなぎ」を食べました。僕専用には頼んでもらえませんでしたが、おばさんとおっさんがほんの少しだけわけてくれました。参道にはたくさんの「うなぎ屋」さんがならんでいたんだけど、「おまえの入れるところは1~2軒だけ。」っておばさんが言ってました。

前回報告を忘れていました。三男M君は国家試験合格したようです。ただ、悲しいことに次男W君は、三年生になれませんでした。

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留守番は、つまらない。

 僕がこのうちにきて2か月くらいたったころ、おっさんとおばさんは「水戸に梅を見に行ってくる。」と出かけていきました。僕は、まだ生まれて3か月だったので連れていってもらえませんでした。(もう、三浦半島のさきっぽまで、車で行ったこともあるし、たまに失敗するけどトイレだって覚えたし・・・。全然大丈夫なのにって思いました。)

1日目:袋田の滝に行き水戸のホテルに宿泊、2日目:水戸偕楽園帰りに大洗のおさかなセンターという行程だったようです。袋田の滝は、冬場凍結する滝で有名なんですが、まったく凍っていなかったようです。偕楽園では、梅がまだ一分咲きで匂いを楽しむこともできなかったと残念がっていました。(僕に留守番させて二人だけで楽しもうとした天罰ですね・・・。)唯一楽しかったのは、昭和の暴走族を見ることができたことだって、さすが「水海道物語」の地とおっさんは感心していました。

そんなおっさんにさらにさらに大きな天罰が降ります。

翌日普通に会社に行ったおっさんが、昼頃帰ってきました。帰ってくるなり「トイレ」に籠城です。どうやら、帰り寄ったおさかなセンターで食べた「生ガキ」に大当たりしたようです。おっさんは、国家試験を1週間後に控えた三男M君に「この大事な時に申訳ねえ」と謝っていました。M君はその日から近くに住むおばあちゃんのところに避難していきました。

 

 

 

平成徒然草「クロル(ミニシュナ)の人間観察」

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クロル降臨

僕の名前はクロル、この家に来た時に付けられました。

三つの候補から投票で選ばれたとのことです。この家には、おっさんとおばさん、三兄弟がいました。その三兄弟は今、みんな看護師という仕事をしているようです。

僕が来た当初、長男だけが看護師で次男、三男は、看護学校の学生でした。

どうして三人とも看護師になったかは、僕はよくわかりません。その三男が学校で「塩素」の勉強をしていたので「クロル」という候補が、1つあがったらしいです。ほかは、「つん」「はち」3つともセンスのないダッサイ名前ですけど、音的には、「クロル」が選ばれて少しホッとしています。あ、言い忘れていましたけど、僕はミニチュアシュナウザーという犬種です。「つん」も「はち」もいかにも日本犬ですかねら・・・・。

僕の先祖は、ヨーロッパでチーズの番犬としてネズミの狩りをしていたそうです。散歩の途中「台湾リス」を見つけると血が騒ぐのはそのせいかもしれません。おばさんは、「お前に捕まる、間抜けなリスはいないよ。」とばかにするけど、「リード」という厄介な紐さえなければリスなんて簡単に捕まえて見せるのに・・・・。

僕の名前の由来は、このくらいにしてすこし家族の紹介をしていきますね。

おっさん:年齢は50代後半、僕がこのうちに来た3年ほど前はIT人材関係のサラリーマン。性格はすこし短気だけど、僕に対してはすごく優しいです。

おばさん:年齢は50代前半、僕に毎日ご飯をくれる大好きなおばさんです。でも、たまに朝ご飯を忘れます。フルタイムで仕事をしてるので忙しいのはわかるけど、朝ご飯だけは忘れないでほしいです。

長男K君:僕が、このうちに来た時にはもう結婚していて家をでてF市に住んでいます。F市の市民病院に勤めています。

次男W君:看護学校2年、大学を中退しそのあと色々アルバイトをして看護学校に入学したそうです。まじめな兄・弟と比較して異色の存在です。

三男M君:看護学校3年、兄のW君を1年追い越してしまいました。三兄弟全員サッカーマンだったけど、M君は、高校三年のときK県の大会で優勝したことを犬の僕に自慢します。(結局は、全国大会には行けなかったくせに・・・。)

ちなみにおっさんもサッカーマンで経験約50年、息子が小学生の頃はコーチをしていたそうです。

こんな家族を僕が観察したことを徒然なるままにみなさんにお伝えしたいと思います。